先輩に学ぶ!?イベント指向のメンタルトレ

 

先輩に学ぶ!?イベント指向のメンタルトレ

 

 

 

 ♪凄いヤツが現れた・・ジャンボ、ジャンボだよ♪

 

 ジャンボ尾崎が300ヤード・ドライブを引っ下げてセンセーショナルにデビューした当時の、確か某電気メーカーのCMソングだったと記憶する。凄いヤツは三十数年経った今でも鮮やかに思い出せるが、凄かったと言われて改めて記憶に呼び戻した連中にも懐かしいインパクトを感じた。

 

 

みちのくの名将と謳われた竹田利秋氏が、仙台育英高校の監督を辞されて数年後のことだから、今からかれこれ十数年前に遡る。宮城大会決勝戦の中継にゲストとしてお呼びした時のことだ。

 

前日の打ち合わせで、「齋藤さんの時の二高は?」そう聞かれて、石井従道君のがっしりした短躯を懐かしく思い出していた。「石井速かったねぇ、高めに伸びてくるまっすぐは凄かった!!」。東北・仙台育英と、教え子の中にも数多くの逸材が揃っていたはずだ。石井君には失礼だが、竹田氏がはっきり覚えていたこと自体、奇跡に近いことではないかと思った。小柄な体から繰り出されるストレートが、余程印象に残っていたのだろう。

 

 

今でも、語り草になっている対仙台工業戦の延長17回。三沢と松山商業の延長18回の熱闘も同じ年のことだった。52回大会で仙台育英の大久保美智男(元広島)が高松商業戦で投げ抜いた延長17回を最後に、県下では永遠に破られない記録として残っている。あの時も石井君の独壇場だった。実は、仙台工業の左のエース森君は中学校の一年後輩、同じ一塁手の渡辺氏とは、母校の監督と取材記者の関係で、長らくお付き合いをさせて頂いた。

 

 

さて、竹田氏に凄かったと言われて、改めて手繰った石井君の記憶であるが、今となってはその凄さも、高2の時の体育の授業で直接対決した相撲の強さでしか思い出せなくなった。校内マラソン大会では亀岡の坂を歩いていたヤツだし、後は、度胸のいいシティボーイの印象が残っているだけだ。「非国民!!」の野次は甘んじて受けよう。

 

 

実は、この話しを、在京下駄の会に参加した折に、同じ野球部の22回卒釜石君に振ったことがある。「自分のことは何か言ってなかった?」この大らかさには参った。「アンタとは一度もクラスが一緒だったことはないんだぜ。カッセカッセ釜石が精一杯だった俺が、何でアンタのことまで聞かなきゃならんのよ」、こう毒づいていれば当然人間失格である。あの場で気圧されていなかったら、或いは、この類のセリフを吐いていたかもしれない。

 

 

当時のショートストップ釜石の自意識の片鱗を見せつけられた自分は、あの時タダタダ無口にならざるを得なかったのだ。

 

伝統の二高・一高定期戦のイベントを張っていた石井・釜石両君のアーティスト精神を煎じて、ファームにいる江尻に飲ませてやりたくなったのは当然のことである。

 

同じ定期戦戦士でありながら、イベンターとしての江尻には、まだまだ役不足なところがある。オダズモッコを返上してしまったせいだ。もっと溢れる自意識をマグマのように噴出さなければ、江尻!お前の生きる道はない。

 

過剰な自意識を友とし、その出し入れの妙を我がものとした、石井・釜石両君に君は直接学ぶべきだ。

 

平成1863日  齋藤 茂

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